2020
06.25

【20代の頃は誰もが模索する。 髙島卓也さんの基盤を作った挑戦とは】

コンサル業

株式会社ワクフリ代表取締役の髙島卓也さんは企業のバックオフィス環境改善のためのコンサル業務、ITツールの使い方の解説を行っています。株式会社ワクフリは創立して約3年、今ではセミナーへの登壇数の年間約百回を越え地方自治体との連携など活躍の場を広げています。

この記事では株式会社ワクフリ代表である髙島卓也さんの幼少期から社会人になってからのお話をご紹介しています。
幼少時代から初めての挫折経験、ニーズを把握することの重要さ、再挑戦したからこそ掴めたチャンスなど、今の髙島さんを形作るたくさんのエピソードを話してくださいました。
現在活躍されている髙島卓也さんの過去から『自分もやればできる』と勇気付けられること間違いなしです。

登壇セミナーやワクフリHP、各SNSなどから髙島さんってどんな人だろうと興味を持った方はぜひ読み進めてみてください。きっと髙島さんのファンになりますよ。

 

◼︎髙島卓也さん プロフィール長崎県波佐見町出身。
九州の大手税理士法人や事業再生コンサル企業を経て2017年に株式会社ワクフリ設立。
中小企業の業務効率化や創業におけるITツール活用支援に特化し、経営のアドバイスを行う。全国の商工会議所や自治体とも連携、業務提携を行い、中小企業へのクラウドサービス普及に努める。クラウド活用・業務改善のプロとしてメディア出演も多数。

 

好きなものは白飯。おにぎりなら無限に食べられるらしい。
温泉巡りやドライブ、美味しいものを食べることなど趣味も多い。

【発言に重みを持たせたい・影響力をつけたい。髙島卓也さんの幼少時代から抱いていた思い】

ーー高島さん、本日はよろしくおねがいします。本日は髙島さんの幼少時代から社会人になってからの挫折経験、大変だったことについてお伺いできればと思います。

「よろしくおねがいします。幼少時代からの話はあまりしたことがなかったので新鮮です!」

ーー髙島さんの第一印象は物腰が柔らかくてお話がしやすい方だなと思ったのですが、幼少時代はどんなお子さんだったんですか?

「そうですね、僕は幼少時代から納得のいかないことには反発する子供でした。全く子供らしくなくて全然可愛くなかったと思います(笑)」

ーー強気なタイプのお子さんだったんですね!イメージがないので驚きです。

「ただ小学2年生の頃、自分が周りと違うことからいじめに発展し、その恐怖からいつも周囲に合わせなきゃと思っていました。人と違うことをしたら嫌われてしまうのではないかといつも不安でした。」

ーー人と違うことをすると不安になる年頃ってありますよね。不安になればなるほど空回りしてしまいます。中学生になった時も不安は拭えませんでしたか?

「はい、不安は拭えませんでした。しかし周囲への溶け込み方を覚えたのでそれなりに友人はできました」

ーーどうやって周囲へ溶け込んでいったのですか?

「いじられ役を買って出て、わざとバカを演じました。」

ーー学校には必ず一人はいるタイプですね。

「そうですね。バカを演じつつも、高島は大したことないしょうもないやつ、失望したと言われることを恐れていました。」

ーー自分に対してのマイナス評価をされているんじゃないかって不安は考えるだけで怖いですよね。それはちょっと嫌ですね。

「僕自身のせいでもあるんですが、バカを演じていたため物事に対する思慮深い発言をしても意図が伝わらず軽い存在、影響力がないと思われていることがストレスでした。」

ーーちゃんと考えて発言しているのに意図を読み取ってもらえないのは悲しいですね。その頃から『発言に重みを持たせたい・影響力をつけたい』と思われていたのですか?

「今考えるとそうだと思います。自分が軽く扱われている感覚が嫌だったし自分に影響力がない…と思った憤りがありました。」

ーーその思いは今のコンサルという仕事に活かせていると思いますよ!

【出口のないトンネルをずっと進むような感覚を味わった。髙島卓也さん社会に出て初めての挫折体験】

ーー就職してからの自身のスタンスや周囲への関わり方は変わりましたか?

「はい、変わりました。就職をするとバカを演じるだけではうまくいきませんでした。何をしても空回り、一生懸命にやってもうまくいかない日々が続きました。」

ーー社会に出て初めての挫折体験ですね。

「僕は一言で言うとダメ社員だったんだと思います。どう周囲と接すればよいか何をすれば正解なのか全くわからない。そんなことが3年続きました。」

ーー何が正解かわからないのは、出口のないトンネルをずっと進むような感覚ですね。どう周囲と接すれば良いかわからないという違和感を感じながらも3年勤められたんですね。すごい。

「今思うと限界だったんだろうなと思います。3年と2ヶ月経過した頃に適応障害になりました。」

ーー心は既に限界だったんですね。適応障害は環境を変えれば改善されますがどうされたのですか?

「はい。医者にもそう言われ、僕はアパレル系の企業に転職しました。1社目を退社して1週間後には転職先の店舗に配属されていました。」

【アパレルでの接客経験でニーズの把握。髙島卓也さんが感じた頼られることのうれしさ】

ーー間髪開けずに次のお仕事に就いたのですね!全くの異業種ですが抵抗はなかったのですか?

「とっても緊張しました(笑)大げさかもしれませんが、胸が張り裂けそうなくらい不安な気持ちでした。」

ーーわかりやすい表現ありがとうございます!それでもアパレル企業へ就職したのですね。

「そうですね。接客未経験でしたが洋服は好きだったので。」

ーー好きなものが仕事になると頑張れますね。それにしても思い切りが素晴らしいです!

「ありがとうございます。当時は若かったこともあり頑張れました(笑)
でも、入社時期が繁忙期だったこともあり入店当日から接客研修も受けられずいきなり店頭に出て接客を行いました。」

ーーアパレル企業の繁忙期といえばセールですね!私もセール大好きです。笑

「日々何十人〜何百人とひっきりなしにお客様がいらっしゃるので、もうてんてこまいでした。でも好きな洋服を扱っていることもあって売上を計上できました。」

ーー接客未経験なのにいきなり好成績だったのですね!素晴らしすぎます。

「売り上げランキングというものがあるのですが初月から60人の従業員の中で7位、店長よりも売り上げを上げてしまいました。店長は悔しそうでした(笑)」

ーー自分が勧めた洋服を買ってもらえると嬉しいですよね。接客未経験でも売り上げを計上できた理由は何ですか?

「お客様が何を求めているのかを必死に把握しようとしたからかな…と思います」

ーー接客を繰り返す中でニーズの把握が売り上げに繋がると体感したのでしょうか。お客様が何を求めて店頭に来たのか分かって洋服が売れると楽しいですね。

「はい、楽しくて仕方がありませんでした(笑)僕は経験が浅い契約社員の立場だったのですが入社数ヶ月後には店舗で1位、数千人いる関東スタッフの中で20位以内に入っていました。他のスタッフからも頼られ、充実した日々を3年ほど過ごしました。」

ーー自分が頼られて役に立っていることが分かると充実感に満ちて良いですよね!アパレル時代の3年間で人との接し方に迷うことはなくなりましたか?

「そうですね、日々様々な人たちと会って話をするので訓練されました(笑)しかし嫌われたくない…という不安はいつまでも纏わり付いていたように思います。」

ーー私も不安な気持ち、わかります。多くの人と会って話をしても埋まらない部分ってどうしてもありますよね。3年アパレルを勤めた後は同業種の会社に転職されたのですか?

「いえ、全くの異業種です(笑)」

ーーそうなんですね(笑)やはり思い切りが素晴らしいです。人生のカギと言っても過言ではないかもなと思いましたよ!

「思い切りがいいといったら良すぎる表現かと思いますが(笑)当時僕は『何にも持っていないな…』と思ったんです。」

【僕は何も持っていない。だからこその再出発。髙島卓也さんが出会った事業再生コンサルの仕事】

ーー何も持っていないとは、社会で通用するような知識や技術などを持っていないという意味ですか?

「その通りです。だから僕は資格を取ろうと思い、税理士の資格に挑戦するべく勉強を始めました。すごく安易な考えですよね(笑)」

ーー税理士の資格をとるのは難しそうですね。それでも一念発起して頑張ったのですね!資格を取ってから会社に就職する予定だったのですか?

「はい。勉強して税理士法人事務所に就職しようと思いました。」

ーーなるほど。うまくいきましたか?

「税理士に向けての勉強を始めた矢先に税理士法人の方と知り合って、その方に『税理士の勉強をしているなら、うちの会社に入らない?』とお声がけ頂きました。」

ーーえ!そんなことってあるんですね。すごい縁ですね。

「僕も正直びっくりしました。資格を取ってから就職しようと思っていたので一度お断りしたのですが、せっかくだから挑戦してみることにしました。」

ーー素晴らしい!これで税理士への道が開かれるのですね。でも高島さんは税理士の資格持ってましたっけ?

「いえ、持ってません。税理士法人に就職しましたが配属先が『事業再生コンサルを行う部署』だったので税理士業務に直接関わることはありませんでした。」

ーーな、なるほど!事業再生は何をする部署なのですか?

「事業再生とは、業績不振・債務超過等に陥っている企業の事業を再建し、経営の健全化を図ることをいいます。」

ーー膨大な知識量と経験が必要なお仕事のように思えます。PC操作できることも求められそうですね。

「その通りです。しかし当時僕は

「THEアナログ人間でPC操作もままならない」
「コンサルって何?」
「専門用語のひとつもわからない」

という状態でした。

ーーまさに、『何も持っていない』状態だったのですね。その状態でお客さん先の社長さんとお話しても内容が理解できなさそうです。

「全くもって理解できませんでした。とりあえず行って話聞いてきてと言われるので言われたまま訪問していました。」

ーー目的が分からずお客さん先に行くのは恐怖…!お客さんも困惑したのではないですか?

「はい、何しに来たの?状態です。僕は冷や汗だらだら、緊張で手が震える。これほど恐怖感と知識不足を感じる1時間はありませんでした。」

ーー緊張感がある情景がしっかり伝わってきます。

「この時の知識不足への焦燥感から必死に勉強に勉強を重ねました。自分で調べては実行することの繰り返し。分からないながらも必死でした。いくら作業しても時間が足りなかったです。」

ーー知識を補いながら業務を進めるのは非常に時間が掛かりそう。周囲に質問するのも遠慮がちになってしまいます。

「そうですね、僕は自分でなんとかしなきゃと思い込んでいました。相当鍛えられたと思います(笑)ただ、PCを業務でまともに使えるまでに1年くらいはかかったと思います。」

ーーPC操作からスタートして専門知識を勉強して、お客さん先にも訪問してアドバイスをしなけらばならない、考えるだけで大変そうでゾッとします。その後は税理事務所でずっと勤められたんですか?

「いえ、数ヶ月経った頃、税理士法人に誘っていただいた方が独立するので一緒にこないか?とお話を頂き新しく事業再生の会社の立ち上げに協力しました。当時僕は独立の意味もあまり理解できていませんでしたが。」

ーー税理士法人に誘っていただいた方は同じ方ですね。高島さんが高い評価を得ていたことが伺えます。事業再生の会社ですね。

「はい。4人で会社を立ち上げたのですがITインフラ関係や事務系の作業は全て僕が受け持っていました。」

ーー書類作成や経理などの業務など事務系といってもやることは多岐に渡りますよね。それに加えて事業再生のコンサル業務も行っていたのですか?

「はい。全てやっていました。若いから出来るよねって理由で(笑)」

ーーすごいですね!それは膨大な時間を要しそう…。まだIT系の知識があったわけではないのに…!

もっと聞きたい!面白くなってきた!と感じたところで高島さんのお話は一旦ここで終了です。

今の髙島さんを形作る経験を多く聞け頷けるお話がたくさん聞けました。20代の頃は自分に何が合うのかわからず模索する時期だと思います。辛い時期も含めて今の自分が作られていると思うと、物事を前向きに捉えられますね。
次回記事では事業再生業務のお話を存分にインタビューしていますので、乞うご期待。事業再生のコンサルをされていたときは、本日聞いたお話の比ではないくらいご苦労されたそう…。

壮絶すぎるそのお話を聞くと、「高島さん以外にコンサルで親身になってくれる人はいないかも?」という気持ちになるかもしれません!

よければフォローよろしくお願いします。

 

髙島さんTwitterアカウント:
https://twitter.com/wakufuriceo?s=20

 

株式会社ワクフリへはこちらからどうぞ。

株式会社ワクフリHP:
https://wakufuri.com/

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